古代日本の空白の時代。天皇家に何が起きたのか?滅ぼされた古代王朝の謎。


歴史の教科書では、推古天皇あたりから妙にリアルになります。それまでの天皇は具体的にどんなことをしていたのでしょうか?

初代天皇の神武天皇(紀元前711-)がリアルにいたとした場合の古代史を検証してみたいと思います。

神武天皇の時代の世界の歴史とは?

紀元前770年、中国では春秋時代がはじまります。

統一する前の秦が登場したのもこの頃です。秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年です。それからわずか15年で秦は滅亡。日本の秦氏の先祖だと言われています。渡来人の秦さんは3万人規模だといいますから、かなりの大移動になりますね。

こんな感じですから、春秋戦国時代の諸国からも亡命者がたくさんいたことは十分に考えられます。そして、彼らの中に天皇家の構成員がいたという可能性も匂います。

一方、紀元前721年、陰謀論マニアが大好きな古代イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされます。失われた10支族の一部が淡路島に住み着いたんじゃないかという説もあります。

秦以降の中国は、紀元前202年に漢王朝、紀元後208年には三国時代を迎え、隋が589年に中国を再統一します。

 

漢時代の日本はどうなっていた?

紀元前1世紀ごろの倭は100国あまりの小国分立の状態であり、朝鮮半島にあった楽浪郡に使者を定期的に派遣して貢物を献上していたそうです。

ということは、世界中から負け部族が渡来して、ここに土着していたのかもしれません。600年もあれば、100支族ぐらいきてもおかしくありませんからね。神武天皇は最初の渡来人部族なのかもしれません。

ちなみに、57年に奴国の使者が洛陽に赴いて後漢の初代皇帝である光武帝から印綬を授けられた。107年には倭の国王である帥升らが160人の奴隷を安帝に献上した。という史実が残っています。

 

卑弥呼の時代の世界の歴史とは?

卑弥呼の墓は奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀中旬)ではないかという説があるようです。ただし、宮内庁的には、このお墓の主は第7代孝霊天皇の皇女とのことです。

魏志倭人伝によると3世紀ごろの倭の様子は帯方郡の海の向こうに邪馬台国があって内紛状態にあったそうです。

魏の国王が卑弥呼に親魏倭王の称号を与えたのが西暦238年。

ここから中国も内戦がはげしくなるため中国の歴史書による日本の記述がなくなり大和朝廷につながる「空白の100年」と言われておりますが、100年どころか400年ぐらいは謎のままです。

280年に呉が晋により滅ぼされますが、大量の呉人が日本に渡来したという説があります。その一つの根拠として、「呉服」という単語を持ち出しています。聖徳太子の服装が呉人の服装とそっくりなようで、呉の文化が日本に根付いていたとも言えます。

 

古墳は何のために作られたのか?

古墳時代は3世紀から7世紀頃といわれています。豪族の墓だと言われていますが、筆者的にはそれは後付けなんじゃないかと思うわけです。

平野が水平なのは、渡来人が稲作のために水平にしたと捉えます。その時に砂鉄を掘っていれば一石二鳥。まず製鉄職人が土地を切り開き、そして跡地に稲作がやってきたというセットでやってきたんじゃないかと思うわけです。稲作が定着するには何年もかかるわけで、最初にビジネスになるのは鉄ですから。

そこで残土の山ができるわけです。水田だけだと生態系がくずれますし、木陰も欲しいでしょう。いわば公園のような存在だったと思います。公園葬のような感じで一族が眠っていて、どうせだったら天(神や先祖)から見つけやすいように面白い形にしたわけです。

もし豪族の墓だけのために作ったとすると、そのための労働力ははっきりいって無意味ですし、民の反発をくらいます。ピラミッドにしても奴隷が作ったのではなく、公共事業として民を食わせるためにやったという説があるくらいですしね。

まだ内乱が多い世の中で、人民というビジネスアセッドを疲弊させるのは合理的ではありません。俺だったら間違いなく労役の無い国に逃げます。

以前の縄文人は人口と収穫資源がバランスしてたから、特に稲作を必要としていなかったわけで、渡来人が渡来人の食い扶持を作るために持ってきたと考えるとすんなり納得できます。

そうなると、稲作をする豪族、つまり国に米を収める人たちは、すべて渡来人だったんじゃないかと思うわけです。

 

大和時代頃までの地方の豪族は120以上

古代日本の地方豪族の有名どころはざっと、こんな感じです。

葛城氏、物部氏、蘇我氏、磯城氏、安曇氏、多治比氏、息長氏、県犬養氏、橘氏、吉備氏、紀氏、巨勢氏、平群氏、多氏、毛野氏、阿部氏、和邇氏、春日氏、十市氏、膳氏、和気氏、越智氏、中臣氏、大中臣氏、守部氏、大伴氏、穂積氏、佐伯氏、宇佐氏、尾張氏、曾禰氏、倭氏、大倭氏、出雲氏、忌部氏、三輪氏、賀茂氏、東漢氏、秦氏、百済氏、土師氏、三枝氏。

豪族のある者は政権の中枢を担う貴族になり、またある者は中央の官衙機構を担う中・下級の実務系の官人となり、また地方の首長層であった豪族たちの多くは郡司に姿を変えていきました。

先述したとおり、紀元前1世紀ごろの日本は100カ国に別れており、紀元後1世紀ごろに30カ国からなる邪馬台国が台頭、2世紀には邪馬台国は内乱、3世紀の卑弥呼のころに一度内乱はおさまったとされています。

こんな感じですから、地方の豪族が少なくとも600年をかけて、わちゃわちゃやっていたのだろうと思われます。

そして、いつしか蘇我氏のころには豪族の意向をうけて天皇を擁立するというスタイルができあがりました。

蘇我氏のあとは藤原氏の時代となって、日本書紀・古事記の編纂となるわけです。

蘇我氏の前は物部氏や大伴氏も有力だったようですが、他にもいろいろな豪族が交代して天皇を擁立してきたのでしょう。

なお、とりあえずリアルにお墓がある仁徳天皇は4世紀に登場しますので、このあたりが天皇家のはじまりなのかもしれません。戦後まもなく、GHQが仁徳天皇陵を調査したそうですが、彼らは何を知ってしまったのでしょうか?

※一説によると、それは天皇家に伝わる宇宙神話で、それが元になったのがスターウォーズだったそうです。天皇家の秘密がハリウッドのコンテンツビジネスになるなんて、そんなチンケなことがあっていいのでしょうか(笑)

 

大和政権の最大のライバルは出雲王朝?

古事記の国譲り物語は、出雲王朝が大和朝廷に屈したことを表しているとされています。出雲関連の話は、古事記の全体の3分の1をしめるわけですから、さぞかし大きな存在だったに違いありません。

それを裏付けるように荒神谷遺跡で世紀の発見があり、銅剣358本が一度に出土しました。それまで全国の銅剣出土総数は300本余りだったので、すごく強い国家があったのではないかというわけです。

気になる大和朝廷への屈服のタイミングですが、この地域の特徴的な四隅突出墳が現れなくなった古墳時代の初期といわれています。300年頃という感じでしょうか。

 

倭の五王(413-478)は9回は中国に朝貢している

倭の五王は、それぞれ、「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇にあたると言われています。

なかでも雄略天皇は中国(宗)への依存を脱却、国内統治をすすめ、独自の権力構造を新しく作ったといわれています。

雄略天皇の打倒高句麗の執念は深く、また、朝貢をやめたため、宗との国交が途切れ、600年の遣隋使派遣まで鎖国が続くことになります。

 

雄略天皇は朝鮮半島に出兵している!!

464年、日本府軍が高句麗を破り、新羅に攻め込みましたが将軍の紀小弓が戦死してしまい敗走したそうです。

その後、高句麗が百済を攻め滅ぼしましたが、翌477年、雄略大王は任那から久麻那利の地を百済に与えて復興させたといいます。なお百済が本当に滅亡したのは660年です。日本が百済救済のために出兵した白村江の戦いは大化の改新のあとですので、かなり長い期間、天皇家は百済びいきだったと見えます。

下記の記事でも書きましたが、桓武天皇には百済王の血が流れています。

 

大和政権の最後の抵抗勢力は磐井氏?

磐井の乱は、527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱です。

この戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡るヤマト王権と、親新羅だった九州豪族との主導権争いがあったと見られています。

 

大分にも古代王朝があったらしい?

ウガヤフキアエズ王朝とは、起源前1000年~紀元後300年に、日向族が九州(しかも大分!!)を中心に作った王朝です。豊国文字という神代文字で書かれたウエツフミという「神話」があり、鎌倉時代に豊後の国主であった大友能直(初代大友氏)により編纂され、大分県内の一部の家系で、代々守り伝えてられてきたそうです。

他にも、関東にも王朝説があり、稲荷山古墳の被葬者は関東に存在した王朝の「加多支鹵大王」に仕えていたといわれていたり、全国各地に王朝があったような気がしてきました。

 

神武天皇は存在したのか?

さて、皇紀2600年の最初に戻ります。

神武天皇、とりあえず、奈良県橿原市にお墓はあるようです。

神武天皇の陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県橿原市大久保町にある畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)に治定されております。

神武天皇は、古事記では、日向から東征して大和を制定したということになっています。

渡来人が博多湾に来たり、出雲に上陸するのはわかります。しかしながら、高千穂に渡来人がいたとは考えにくい。だからこそ、この地が天皇発祥の地に選ばれたのではないでしょうか?

 

淡路島に古代ユダヤ人が上陸した?

この説はテレビ番組でやっていたとおりです。ちょうどYoutubeにあがっていたので、興味ある方は見てみてください。

古事記では、最初に淡路島ができて、そのあと日本列島が作られて行きます。

そんな最初の島に古代ユダヤ人が上陸するわけですから、にんともかんとも、おめでたい話です。そして秦さんという方がたくさん住んでいらっしゃるというわけ。

このあたりのミステリーは、天皇家とどうかかわってくるのか、今後の新説が期待されるところです。

 

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